努力の過程は家庭が見つけてくれる話(ダジャレ)
最近山口県で2歳の行方不明になった男の子をボランティアの尾畠春夫さん(78)が見つけたというニュースが話題になっている。
このニュースを知った時、なにか自分が救われた気分になった。この気分を味わうべく関連ニュースを探して読んだ。ニュースとはいつの間にか、暗く辛い話題か下世話な話しか流さないと思っていた。
そうだ、世の中にはまだ希望もあるんだと。善意の行動が実ることもあるんだと。
同じ事を感じる人も多いのか、ネットでもテレビでも称賛の声が非常に多く見えた。
尾畠さんはボランティアをしながら全国を回っているらしい。なかなかできることではない。僕は掛け値なしに尊敬と感謝の念を抱いた。
同時に、輝かしいスポットライト以外の人たちの行動や努力にも思いを馳せた。今回の件では、警察や消防、近隣住民、他のボランティアの方も大勢いたと報道されていた。
もちろん結果が全てではないし、そもそも、今回の件はお子さんを無事発見できたという点で結果は大成功なのだけど。
尾畠さんの努力と結果が結びついたのは必然でないし、努力と結果が比例しないのも知っていた。
「尾畠さんもすばらしいけど、その影にたくさんの努力をした人たちがいた事も忘れてはいけないよね。」
なんて、妻と話しながら呑んでいたら、
「成功は社会が見つけて評価してくれる、でもそれまでの努力や頑張りを見つけるのが家族だと思う」
と妻は言った。
うちの妻はなんてステキな事を言うのだろう。
自分にとって「努力」とはそれ自体見せびらかすものでもなく、一人で「結果」が出るまで密かに耐え進んでいくものだといつのまにか思い込んでいた。
そうか、見てくれる人はいるんだ。
僕は気づかないだけで、父も母も祖父も妹たちもそうだったかもしれない。
「努力」が認められるのではなく「結果」で評価が変わるのが社会であり、それが健全だと思う。
けど、誰にも気づかないような努力を見つけてくれるのが家族なのだと。
家に帰ったら、それをねぎらってくれるのが家族なのだと。
妻はいつでも成果物と一緒に、
「てっちゃんのがんばりがあってこそだね」
と褒めてくれる。
それはこのような精神のもとの発言なのだと納得した。そして妻をもっと尊敬した。
人は想い出の体積である。
この一言は僕の中できっと一生忘れないだろう。
でも、一応フレッシュな感情をここに残しておくことにする。
今日も多くの見えない人の頑張りが、多くの家族に見つけてもらえますように。
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